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音で世界は少しやさしくなる|なぜSUSHIBOYSとFARMHOUSEが好きなのか

音で世界は少しやさしくなる|なぜSUSHIBOYSとFARMHOUSEが好きなのか

music

気づいたら、SUSHIBOYSとFARMHOUSEばかり聴いている。信号待ちでぼんやりするときも。夜帰路の途中、気づいたら流れている。いや、正確に言うと、流しているのは自分なんだけど。でも、再生してしまう。なぜこんなにも惹かれてしまうのか。それを自分でも整理したくて、ここに書いてみる。

まず、MVがかっこいい。いや、かっこいいって言ってしまうのは、あまりにも乱暴だと思う。かっこいいって便利すぎる言葉だからだ。たとえば友達が急に髪を切ってきて、正直似合ってるのかどうかわからないときでも、とりあえずかっこいいじゃんって言ってしまう。あれと同じくらい便利。でも、SUSHIBOYSとFARMHOUSEのMVに関しては、その便利な言葉を使っても罪悪感がない。むしろかっこいいの裏に、長ったらしい脚注が隠れている。細かい作り込みが泣けるほどすごいっていう脚注だ。

彼らのMVには、遊び心もあるし、編集の妙もある。いや、あれは編集じゃなくて編集芸だ。ちょっとした間、切り返し、文字の出し方、光の具合。すべてに余裕がにじむ。すごいやこのひとたち。

リリックもかっこいい。いや、これもまたかっこいいなんだけど、今度はおしゃれという言葉に近いかもしれない。おしゃれって、服そのものだけじゃなくて、選び方とか、その人がまとう空気とか、全部が合わさっておしゃれに見えてしまう現象だと思う。SUSHIBOYSとFARMHOUSEのリリックは、そんな感じ。

やたらと韻を踏んでやろう、みたいな無理やり感がない。なのに耳に残る。冷蔵庫を開けて卵を見つけたときにSUSHIBOYSとFARMHOUSEの曲が頭をよぎる。意味なんて特にない。

なにより、ビートメイクと旋律。これが美しすぎる。死ぬ。いや、死ぬってこういうときに使うべきじゃないのはわかってる。でも本当に死ぬほどいいんだから仕方ない。

SUSHIBOYSやFARMHOUSEを聴いていると、それを強く感じる。彼らは、日常の中から小さなよろこびを見つけて、それをふくらませて音楽にしている。ちょっとした遊びを大げさに広げて、笑いながらラップする。それはつまり「人生を楽しんでいる」という証拠にも見える。

そして、大前提比べるなということはわかっているんだけどFRESINO、JJJ、STUTSといったアーティストたちとも自然につながりそうな気がする。その交わりそうという予感が、すでに彼らを尊い存在にしている。音楽はひとりで完結しない。リスナーとの交わり、アーティスト同士の交わり。その瞬間にしか生まれない空気。SUSHIBOYSもFARMHOUSEも、その交わりの気配を強くまとっているのだろうな。だからこそ、ぼくには尊い。

ぼくはよく、音楽を聴きながら歩く。商店街を抜け、信号待ちで立ち止まり、スーパーでネギを買い、帰り道にまたイヤホンを耳に戻す。彼らのビートが流れていると、信号が青に変わる瞬間も、ただのネギをぶらさげて歩いている自分の姿も、ちょっとしたMVの一コマみたいに見える。カゴに入れた特売の豆腐まで輝いて見える。これこそが音楽の力だと思う。日常をなんかかっこいいと思わせてくれる魔法。

説明できない。説明してしまった瞬間に、なにかがこぼれてしまう。それでもぼくは書きたいと思った。SUSHIBOYSとFARMHOUSEの音に出会えてよかったと、ちゃんと記録しておきたいと思った。

ぼくは今日もネギを片手に歩きながら、彼らの音楽を聴く。幸せだ。

SUSHIBOYS|木にしない
FARMHOUSE|リンス

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