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EXHIBITION|八戸工業大学第二高等学校 五十周年記念美術展

五十年の枝葉に触れる|EXHIBITION八戸工大二高 五十周年記念美術展に参加

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出展してみませんか?と声をかけてもらったときの私の第一声は、たぶん「えっ」だったと思う。あまりにも短くて、あまりにも間の抜けた反応。でもその「えっ」のなかには、驚きと、焦りと、そしてほんの少しのうしろめたさがぎゅうぎゅうに詰まっていた。なにしろ今回の展示は美術コース創立50周年記念という、とんでもなく立派な肩書きがついている。そんな舞台に、自分が呼ばれるとは想像していなかった。美術コースを卒業したあと、私は東京藝大に進んだわけでもなければ、工芸を極めて地域に根を張った活動をしているわけでもない。ただ、広告やパッケージ、グラフィックデザインといった、生活に直結するデザインを仕事にしてきただけだ。もちろんそれだって立派な仕事だとは思う。でも美術展という響きに並べられると、なにか自分の作品だけ別のジャンルに置き間違えられているんじゃないか、という不安がずっとつきまとっていた。そんな心境で迎えた10月の初め。八戸市美術館に足を踏み入れた瞬間、その迷いは強制的にリセットされた。

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文化祭の廊下に戻ったみたいだった。会場には、絵画や彫刻、ガラス工芸や染織、漫画、イラストレーション、映像作品などが並んでいた。ジャンルも大きさも素材も、本当にばらばら。それなのに、不思議と場の空気はまとまっていた。白い壁に沿って作品を眺めて歩いていると、まるで文化祭の廊下を歩いているような気分になる。教室ごとに違う展示があって、笑い声や小さなざわめきが混じり合っているあの独特の雰囲気。高校時代の匂いが、少し蘇った。展示を見ていて、あらためて思った。美術コースで学んだあと、みんなが進んでいった先は本当にバラバラだ。東京藝大でアートを研ぎ澄ませている人もいれば、藍染や友禅染といった工芸の分野に飛び込み、地域と深く関わりながら制作を続けている人もいる。漫画を描いて出版の世界に飛び込んだ人もいれば、イラストや絵本で子どもたちに物語を届けている人もいる。IT業界に進み、まったく違う形でものをつくることと関わっている人もいた。展示を見ながら、私は何度も美術ってこんなに広かったんだと思った。高校時代、同じ課題でデッサンを描いていた仲間(と呼んでしまうとどうも照れくさいのだけれど)たちが、それぞれの進路で自分なりの美術を続けている。その姿をこうして一度に目にするのは、ちょっとした奇跡みたいに感じられる。

展示のなかで、東京藝術大学に進んだ卒業生の作品の前に立ったとき、私はしばらく動けなかった。教科書の図版とはまるで違うなにか。藝大という場所で積み重ねられた時間や、伝統と向き合う厳しさが、色の層の奥から滲み出てくるようで。私はグラフィックデザインの現場で、日々わかりやすさと伝わりやすさを追いかけている。そこにはもちろん喜びもあるけれど、正直に言えば美術の純度という言葉からは遠ざかっている実感もある。だからこそ、その作品に出会ったとき、胸の奥を鋭く突かれた。美術はやっぱり、人の心を動かすためにあるのだ。その当たり前のことを、忘れかけていた私に、目の前の作品がストレートに思い出させてくれた。

会場を歩いていて楽しかったのは、普段の仕事では出会えないジャンルの作品を一気に浴びられたこと。ガラスの作品は、光を通して壁にやわらかな影を落としていて、それだけで空間の空気を変えていた。藍染や友禅染の布は、布そのものが展示されていて、色の深さに吸い込まれそうになった。オブジェは人の気配を呼び込むような存在感をまとっている。それぞれは私の専門であるデザインとは遠いように思える。でも、藍の青は配色を考えるときのヒントになるかもしれないし、ガラスの透け方は写真のライティングを考えるときに参考になるかもしれない。異ジャンルだからこそ、自分の中に新しい回路をつくってくれる。そういう刺激を全身で浴びられたのは、本当に貴重だった。

正直に言うと、今回「五十周年記念展」に選ばれたと聞いたとき、心苦しさがあった。自分は藝大出身でもなければ、工芸を極めているわけでもない。日常のすぐそばで、広告や商品パッケージのデザインを作ってきただけだ。そういう立場の私が、記念展という大きな看板に並んでいいのだろうか。そんな思いは今も完全には消えていない。けれど、会場に自分の作品を置き、他の人たちの作品と並んだとき、不思議とここにいてもいいと思えた。バラバラなようでいて、確かにみんな同じ教室から出発した。その事実が、作品を並べた空間に静かに漂っていたからだと思う。五十年の歴史に、自分もほんの小さな点として刻まれる。そのことを考えると、胸の奥がじんわりと熱くなった。

展示を終えて、頭の中に残っているのは美術って思ったよりずっと自由で、広がり続けるものなんだという感覚。あのとき鉛筆を持っていた手は、いまではそれぞれ違う道具を持っている。でも、その根っこにあるのは同じつくりたいという衝動。こんなに違うジャンルの作品が並んでも、会場はバラバラにならずにひとつの空気をまとっていたのだと思う。これからも私はグラフィックデザインを続けていくと思う。でもその先で、またこうして誰かと再会できるかもしれない。美術を学んだ者同士が、ときどき交差しながら歩いていける。その未来を想像すると、少し心が軽くなる。この展示に参加できたことは、ただの発表の場ではなく、自分の立ち位置をもう一度見直す時間。どんなに迷っても、私はやっぱりつくることから離れられないんだと、あらためて思った。

八戸市美術館の白い壁に映っていた作品群。そこに並んでいたのは、卒業生それぞれのいま。そして、その集まった景色は五十周年という節目にふさわしいものだったのだと思う。参加できたことに、心から感謝しています。あの日の会場の空気を忘れないように、これからも自分のつくるを続けていきたい。

八戸市美術館
八戸工業大学第二高等学校

 

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